by masak0521
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2004年 02月 29日
タイトルの通り俳人、小林一茶を描いた作品
教科書などで紹介される「すずめの子、そこのけそこのけ、お馬がとおる」「やれうつな、蝿が手をする足をする」等のほのぼのとした句が有名で、そのイメージから著者である一茶自身に対しても人の良い老人といったイメージが勝手に出来上がっていたのですが・・・。 (苦笑) である。 僕も含め何となく日々の飯のために仕事をしつつ、音楽や絵といったものに打ち込み『いつかは・・・』といった気持ちを心の中に秘めつつもうだつの上がらない毎日を送る者が読むと、相当痛々しい話と言わざるを得ない。 平たく言うと後世に作品が残ったということを除いては『明日はわが身』と身につまされる。 『俳人として名を成し一人立ちする』 若い頃はそんな夢を持つ一茶。 しかし結局はお金のために地方を旅し、豊かな商人や百姓を半ば押しかけのように訪れ、句を売ることでなんとか暮らして行くという生活が続き、30、40、50...と歳を重ねる。 40を過ぎた頃の一茶の目標は 『俳人として収入を得て、なんとか江戸で人並みの暮らしを送る』 というもの、しかしこの目標すらかなわない。 その後は故郷へ戻り、壮絶な遺産争いの末、半ば詐欺のように義母と弟夫婦から父親の遺産を奪いとり、若い嫁を迎える。 しかし、孫ほども歳の離れた子供を次々と失い、子供ほども歳が離れた嫁に先立たれたりもする。 そんな暮らしの中で身の周り総て、それこそノミ・シラミに到る生活の細部までを句にしていく・・・。 しかし一茶の句は結局死ぬまで江戸の中央俳諧では満足に認められる事がなかったのである。 藤沢氏自身小説家のデビューは47歳である、それまでは教師やしがない業界紙の記者などを転々としていた。 藤沢氏自身執筆のきっかけが『自分の人生がこんなものかと思ったらいたたまれなくなり、小説を書くようになった』と言っている。 『”俗”を否定しない事』というのが藤沢周平の人間描写を深くしている理由の一つに思う。 この小林一茶や他に葛飾北斎などを描いた場合も、売り上げや地位を気にし、周囲の評判に敏感に反応する一種の俗物、”普通の人間”として描くのである。 それは、秀吉、家康であるような歴史上の偉人においても同様である。 この描き方は自身筆をとるのが遅く、また長いサラリーマンの体験があったからに違いない、いくら文才があっても10代で大成しその後はその道一本ですごしたような人間には絶対に描けない物であると言い切れる。 物語の中で若い頃の一茶が松尾芭蕉の ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、終に無能無才にして此一筋につながる という文を読んで『自分の事だ』と思い込む場面がある。 この感覚こそが文中の一茶が凡人で俗物であるという証拠なのであるが(苦笑)、ここに非常に共感が持てる。 そしてその後、一茶が思い出したように『無能無才にしてこれ一筋につながる、だ』とつぶやく場面があるのだが、ここで一茶がつぶやいた”無能無才にてこれ一筋につながる”という言葉こそ、俳聖と呼ばれ崇高な芸術家であった芭蕉が言った時よりも、我々俗物に対してリアリティを持つ言葉として存在できるように思う。 そして僕のような人間は俗を持って芸術活動をしても良いんだと励まされるのである。
by masak0521
| 2004-02-29 20:10
| 藤沢周平
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